発表題目:『言説、形象』を読む
—「抗争」の場としての言説—

渡邊 雄介(早稲田大学)

 本発表では、ジャン=フランソワ・リオタールの1971年の著作『言説、形象』の議論の読解を行う。彼の構造言語学、言語哲学、現象学、精神分析等を横断していく議論を、「言説」概念をキーワードにして読解することが本発表の目標である。この際、彼が語る「言説」とはどのような性質をもつものなのかを明確にしようと思う。またその上で、単なる議論の整理にとどまらず、彼の後期思想のキーワードである「抗争différend」という側面が、既に前期の代表的著作である『言説、形象』のなかにも潜んでいるということを示したいと思う。具体的な議論の論点は次の様になっている。
 第一節では、そもそも『言説、形象』とは何を問題にしている著作なのか、という問いを扱う。そして、そこではある種の「テクスト」概念に対する批判が行われていることを確認する。リオタールが批判するのは、感覚的なものを知解可能なものに還元しようとする構造言語学や記号論的言説の全体化的傾向である。この時、テクストに還元されえない「厚みを持った視覚的なもの」が存在しているというのがリオタールの大きな主張なのである。言い換えれば、テクスト、言説、形象はどのように絡み合っているのかという問いこそが、『言説、形象』が全体を通して取り組んでいる問いである。
 第二節では、リオタールが言う「言説」とは何かという問題を扱う。彼は「言説」は「シニフィアン」、「シニフィエ」、「指示されたもの designé」の三幅対によって成り立っていると述べる。これによって彼が何を言わんとしているのかを理解する為に、リオタールが言及する「構造主義的否定性」と「現象学的否定性」の差異を整理し、「言説」という場においては、それら二つが絡み合っているということを論じる。
   第三節では、形象‐像はいかに言説に働きかけるのか、という問題を扱う。これは言い換えれば、第二節にて言及した「指示されたもの」がどのように言語構造に影響するかという問題である。ここでは主に、フレーゲが「意義と意味について」で行った「意義 Sinn」と「意味 Bedeutung」の区別について言及する。また、A=B型の綜合判断に伴う「指示されたもの」が、構造言語学が前提にする「範列関係」にどのように影響するかが問題となる。
   第四節では、「言説」に精神分析の議論がどのように関わってくるかを問題にする。その際、リオタールによるフロイトの「夢作業」論を論じる。ここでは、欲望の力はテクストを物として扱うことで、ラングの規則を侵犯する力を持っているということを論じる。
  またこのような議論から、構造主義的アプローチ、現象学的アプローチ、精神分析的アプローチという三つのアプローチが、言説という場においては必然的に「抗争」状態にあることを論じたいと思う。