発表題目:二次元意味論にもとづくチャーマーズのフレーゲ的意味論について
仲宗根勝仁(大阪大学)
意識の哲学の分野で有名なチャーマーズは、認識的二次元主義にもとづく二次元意味論を提唱していることでも知られている。本稿の主題は、チャーマーズの二次元意味論、特にチャーマーズ(2002)で打ち出されたフレーゲ的意味論について考察することである。その論文におけるチャーマーズの二次元意味論がフレーゲ的意味論と目されるのは、彼が自身の意味論における認識論的内包(一次内包)がいわゆるフレーゲ的意義に類する役割を果たすからである。チャーマーズによれば、認識的内包は認識的可能性(シナリオ)との関係から定義され、また(フレーゲより弱い意味ではあるが)認識的内包は外延を決定する働きをも持つ。このような働きをする認識的内包は、確かに、認知的意義を反映しまた対象同定の役割をも担うフレーゲ的意義に類似しているように思われる。しかしながら、このようなフレーゲ的枠組みを採用する、あるいは認識的側面を意味論に導入すると、たちまちクリプキによる記述群理論批判に類するような批判に晒される。というのも、あらゆる通常の固有名は意義を持つというフレーゲ的見解は、固有名の意味はその指示対象のみであるというクリプキ以降支配的な見解と相容れないからである。そこで考察すべきは、フレーゲ的意味論一般に当てはまるようなクリプキの議論、いわゆる様相の議論と認識の議論がチャーマーズのフレーゲ的意味論にも当てはまるのか、ということである。このことに対してチャーマーズは、クリプキの議論はチャーマーズのフレーゲ的意味論には当てはまらない、あるいはクリプキによる記述群理論批判はチャーマーズのフレーゲ的意味論と整合的である、というものである。このチャーマーズの結論が果たして正当かどうか、正当でないとするといかなる問題を解決しなければならないのか、ということを明らかにするのが本稿の中心的課題である。
このような問題意識を持ったうえで、第1節ではチャーマーズのフレーゲ的意味論を粗描し、第2節ではクリプキによる様相の議論と認識の議論を確認し、第3節ではクリプキの議論に対するチャーマーズからの応答を紹介し、第4節では、チャーマーズのフレーゲ的意味論はクリプキの批判を逃れているわけではない、あるいは少なくともクリプキの議論の根底にある言語観とチャーマーズのそれとは根本的に異なるために、議論がすれ違っている、ということを明らかにする。最後に、チャーマーズがクリプキの議論を正当に扱い応答するためには、結局のところ、クリプキ以来広く支持されてきた固有名の直接指示性(あるいは純正指示性)を再考し、チャーマーズの言語観が私たちの言語直観に合うことを示すか、あるいは、チャーマーズのフレーゲ的意味論の方がより多くの言語哲学的問題を納得のいく仕方で解決するということを示さなければならない、ということを指摘する。