発表題目:前期フィリッパ・フットにおける道徳の合理性の問題

五味 竜彦(慶応大学)

 人はなぜ善いことをするのだろうか。あるいは、なぜ善い行為をすべきであると考えられているのか。こうした道徳的行為の理由を巡る問題は、古代ギリシアの時代から続いてきたといえるが、その問いに対しては大きく二つの答え方があるといえるだろう。ひとつは道徳的行為の結果にその理由を求めるものである。すなわち、道徳的行為は行為者自身にとって利益となるという理由から道徳的行為を肯定しようとする主張である。もうひとつは、道徳的行為の動機に理由をもとめるものである。ここには、道徳的行為を行うこと自体が行為の理由となりえるという主張や、道徳の要求の普遍性や不可避性に訴える主張が含まれるだろう。
 しかしどちらの答え方においても、問題が生じてしまうように見える。もし前者を採用するならば、行為者の利益にまったくならないような善い行為(例えば公平な取引や約束の遵守など)をするための理由が生じえないという問題が想定されるだろう。また後者を採用した場合は、なぜ行為者の自己利益や欲求に関わらず道徳の要求に従う必要があるのかという問題や、他人の幸福に喜びを感じる人が決して道徳的に善いと評価できないという問題が生じてしまう。このように、道徳的行為の理由に関する問題には、自己利益と道徳的善、道徳判断の方法、行為の理由などといった様々な要素が含まれていたため、現在にいたるまで困難な問題であり続けてきたといえるだろう。
 そうした背景を踏まえた上で、本発表ではフィリッパ・フット(Philippa Foot)が行った議論を検討し、道徳的行為の合理性について考えていく。フットは現代に徳倫理学を復権させた第一人者のひとりとして広く知られているが、その一方で、道徳判断や道徳的行為の理由等を考察したメタ倫理学的な議論を数多く行っている。今回はその中でも彼女が前期から中期にかけて行った議論を検討する。なぜなら、この時期にフットは、まさに先述のような道徳的善と行為者の自己利益の不一致という問題や、道徳がそれ自体で行為の理由を与えると主張する理論への反論を行っており、道徳的行為の合理性を考慮する際に非常に有用であると考えられるからである。
 そこで、本発表は大きく分けて三つの内容に分けられるだろう。まず、フットはこの時期に、道徳的善と行為者の自己利益・欲求との関係について自身の見解を大きく変化させている。そのため、彼女の考え方の変化を整理することが第一の内容である。次に、フットはそうした思想的変化を経て、ひとつの大きな結論に達し、「仮言命法としての道徳」というひとつの理論を考案している。ここでの見出される理論とはどのようなものか、それを見ていくのが第二の内容となる。更に本発表では、ここで示された「仮言命法としての道徳」を理解するうえで鍵となるのが、徳の概念であるという見解を取りたい。要約すれば、フットは道徳的善と自己利益や欲求の関係を、徳の概念を介在させることで、それぞれを包括的に結び付けてようとしたのではないかと提案するつもりである。このように第三の内容として、フットの理論において、徳の概念がどのように作用しているかを検討していく。以上の議論を通じて、前期から中期にかけてのフットの理論が、道徳的行為の理由という問題に対して解答し得るかを検討していきたい。