発表題目:認知科学における研究戦略としての〈拡張した認知〉—広い計算の事例を巡って—
呉羽 真(日本学術振興会・立教大学)
近年の認知科学は、われわれの認知においてその身体や環境が一定の重要な役割を担っている、という事実に着目するようになってきている。われわれの知的行動が脳内の神経メカニズムのみによって生み出されると想定してきた古典的認知観に対して、近年の身体的(embodies)あるいは状況的(situated)な認知観は、それが脳‐身体‐環境間の相互作用から生じる、という点を強調するのだ。本発表は、特に認知の状況性を話題とし、それが認知の境界(認知プロセスはどこまで広がっているか)についてどのような含意をもつか、について論じる。Robert A. WilsonやAndy Clarkは、認知の状況性を認知の拡張として理解すべきだ、と提案している。すなわち、彼らが提唱する〈拡張した認知〉テーゼによれば、認知プロセスは必ずしもすべて頭の中にあるのではなく、時として環境にまで広がっているのである。しかしこれに対して、Keith Butler、Robert D. Rupertらは、認知プロセスは環境に依存してはいるが、広がってはいない、と反論している。
本発表では、Clark、Wilsonらが挙げた「広い計算」の事例を採り上げて、彼らの〈拡張した認知〉テーゼを検討する。この際に発表者が着目するのは、「誰の認知プロセスが広がっているのか?」という論点である。認知の境界を巡る論争では、しばしば以下二つのテーゼが混同されてきた。
(1) 個人の環境に広がった認知プロセスが存在する。
(2) 個人の認知プロセスがその環境に広がっている場合がある(〈拡張した認知〉テーゼ)。
発表者はこの内、(1)を認めるが、(2)を否定する。そこでまず、科学史的・科学哲学的考察により「認知システム」の概念を明確化することを通して、われわれ(個々の人間的行為者)の環境に広がった認知システム/プロセスは存在するが、それはわれわれの認知システム/プロセスとは見なせない、ということを示す。次に、われわれは自らの認知システムを拡張することによってではなく、自らの認知システムとは異なったより広い問題解決システムを形成することによって知的行動を産出する、という観点から、認知の状況性を捉え直すことを試みる。最後に、〈拡張した認知〉論者たちに対して、暗黙裡に知能を個人の専有物と見なしてきた古典的認知観の見方を引きずっているのではないか、という批判を提起する。