発表題目:

千葉大学(人文社会科学研究科)後期博士課程3年 武蔵 義弘

 本論は、直接にはカントが『判断力批判』第一部 美学的判断力の批判で述べられているところの、色彩は感覚的なため〈美〉の要素たり得ないとある点に疑義を呈し、色彩には合目的性を措定し得る面があることゆえに、間主観的な美的判断を成立させることを論じようとしたものである。併せてカントが人間を〈類〉としての存在と〈個〉としての存在、そして間主観性との関係で行けば〈人々〉としての存在という三局面から捉えている点に着目し、そこから読み取れるものを考えて行く。構成と内容は以下の通り;
 @ 色 の 見 え の 問 題では、色の知覚の間主観的同一性はどのようにして確かめられ得るかを追求してみる。まず無彩色(白、黒、灰色)には間主観的同一性を適用ができることをあげ、ついで有彩色でこの同一性が言えるかを検討してみる。同一性を確保したとしても、それは言語のレベルでのことにすぎないのではとする逆転スペクトルの懐疑論があるが、混色実験によってその当否は確かめ得ることを指摘する。
 A ヴ ァ ル ー ル に つ い て では、西欧絵画における色の位置の変遷を扱う。近代以前にあっては、画家が際だたせたい対象をいかに人工的な明暗の対比の下で浮かび上がらせるかという点に色は関係した。これに対し近代絵画(印象派)では、画面全体の配置の中で〈色〉がいかに合目的的に扱われているかということになり、絵画における色彩のの自立となった。線描的要素だけを絵画の〈美〉と見たカントへの反論である。
   B 自 然 の 技 巧 の 問 題 では、人工美よりも自然美の方が美しいとしたカントの所説は、景観の美―それは人間の手が加わっていることが多い―に対してはどうかということを問題にする。カントは(動物の中の)〈類〉としての人間の営みの結果として社会や歴史を眺める。この立場からすれば、景観美は自然美の一種ということになる。景観美を感ずることも、景観を描いた風景画の美を感ずることも、ともに間主観的な一致を基盤にしている。
   C 政 治 と 色 彩では、カントにおける人間の三局面の問題に迫ってみる。すなわち前節であげた〈類〉としての人間に対し、〈個〉としての人間があり、カントはそれを『純粋理性批判』や『実践理性批判』で扱っている。これに対し、間主観性は〈人々〉としての人間、つまり社交と趣味が成立する場での人間が関係する。ここからハンナ・アレントはさらに、美的判断と政治判断の類縁性へと進んで行く(『カント政治哲学講義』)。正統的カント解釈からは異端視される彼女の見解だが、本論はこれに従ってみる。ただしアレントの言う政治判断とは、政治の局外に立ち事件を傍観する人間が下す判断である。これとは別に、政治家が下す判断があるわけで、それがどう〈色〉的なものと結びつくかを見る。