発表題目:人生における過去の物語化と計画概念
―何が人生を構造化するのか―

長門 裕介(慶應義塾大学)

 我々は、いつもではないにせよ、何らかの関心や契機に導かれて、現在だけではなく、「これまでのこと」や「これからのこと」を巻き込んだ人生全体に思いを巡らせることがある。単に過去の経験を思い出したり、何かを行為しようと思うだけでなく、それを人生全体と結びつけて考えるときのある種独特の感覚については、例えば「実存論的不安」や「不条理」の問題として哲学の議論にたびたび登場してきたものである。
 さて、もし我々が自分自身の人生全体、あるいは少なくとも長期的な幅を持った出来事を把握し、それに対して意味を見出そうとするならば、現在の欲求状態だけではなく、過去に対するものと未来に対するもの、その二つの志向を持つことが必要になるように思われる。本発表では、過去に対する態度についてはポール・リクールが提案した「(過去の)物語化」の概念を、未来に対する態度についてはマイケル・ブラットマンによって知られる「計画」の概念を、それぞれ人生全体を語る上で最も馴染むものとして取り上げたい。かいつまんでいえば、リクールの物語論は一定の関心に従ってこれまでの人生のなかで起きた経験を合理的かつ理解可能な仕方で構造化することを上手に説明してくれるのに対し、計画概念は、それは我々のこれからの行為を合理的に制御する指針を与える下図を提供してくれるものである。
 このような準備を行った上で、さしあたり問題になるのはこの二つの志向の関係である。ごく日常的な場面においても、我々はこれまでのことを振り返ってそれを評価・点検したり、これからのことを計画して、それと適合するようにおおまかに行為の連関を定めたりする。さてそのとき、過去の物語化と計画は我々のなかでどのような関係になっているだろうか。もう少し突っ込んでいえば、それらは我々が今立っている現在を蝶番にして、対称的な関係になっているのか、そうではないのか、どちらなのだろうか。これを確認することが第一の課題である。
   二つ目の問いはより根本的なものである。それは、なぜ我々は過去に対しては「そんな昔のことは忘れた」と言ったり、未来に対しては「そんな先のことはわからない」と言ったりせずに(つまり現在しかない、という態度を取らずに)、過去や未来を志向してしまうのか、という点に関わっている。これについては、過去の物語化や計画といったものが、人生の意味や価値を把握しようとする場面で、どのような意義を果たしているかを考察することで答えることになる。