発表題目:チャルマーズの二次元意味論との関連で見る思考の本性—狭い内容とは何か

木田 翔一(千葉大学)

 思考の本性とはどのようなものか。この問いに答える際の一つの議論の枠組みとして、思考の内容が何によって決まるのか、という論題がある。思考の内容が思考の主体の内在的な状態の性質だけによって決定されると考える立場と、思考の内容が主体の状態と外部の対象との関係的性質も含めて決定されるという立場がある。前者は思考の内容が狭い内容であると主張する内在主義であり、対して後者は思考の内容が広い内容であると主張する外在主義である。内在主義者は、思考の内容が主体の内在的状態にスーパーヴィーンすると考える点で、外在主義者は思考の本性が主体の外部に対する指標性を持つと考える点で際立っている。内在的状態を共有している二つの主体が別々の環境において持つ思考を考えよう。環境の違いが主体の思考の内容に影響すると考えるならば、外在主義の立場に加担することになり、環境の違いにも関わらず主体の思考の内容が同じであると考えるならば、内在主義に肩入れすることになる。主体の思考の状態を個別化するのに、外部の環境が関わってくるかどうかは重要な問題であり、思考の本性についての重大な議題となる。その問いに答える際の理由づけのポイントとなるのは、思考の内容が狭いあるいは広いと主張することが思考の性質に関するどういった帰結を持つか、ということである。
 チャルマーズは二次元意味論を狭い内容と広い内容の議論に応用し、折衷的見解を展開している。チャルマーズは、思考の内容には外在主義的議論の教訓に適合する仮定法的内容としての仮定法的内包と、認識的内容としての認識的内包があると主張する。認識的内容とは、チャルマーズのアイデアによれば(1)認知システムの内在的状態によって決定され、(2)それ自体真理条件的な内容であり、(3)思考の合理的な関係を反映するような性質である。つまり、チャルマーズは、仮定法的内容が広い内容であるとする一方で、認識的内容が狭い内容であり、それが意味論的内容としての役割を持ち、認知と行為のダイナミクスの中心的な役割も果たすと考えている。チャルマーズ流の二次元意味論的な思考についての枠組みは、思考の合理的な領域が主体の内在的状態によって決定される狭い内容であり、思考の指標的な特性を表しているのが広い内容であるという二側面的な見方を結論する。この枠組みの下では、思考の状態の帰属も二側面的な問題であるとされる。例えば指標的側面では矛盾しているが合理的側面においては整合的であるような二つの信念があり得るということになる。
 本発表の目的は、狭い内容と広い内容の議論の枠組みへのチャルマーズ流の二次元意味論の応用の可能性を探ることである。発表の流れとしては、第一に、チャルマーズ流の二次元意味論の枠組みが、思考の外在主義と内在主義の議論においていかなる位置を占めているのかを明らかにする。そのため、外在主義と内在主義の議論のバリエーションを整理する必要がある。第二に、チャルマーズ流の二次元意味論の枠組みを用いて思考の状態の帰属を考えたときにいかなる帰結がもたらされることになるのか、彼の二次元意味論は思考の本性にどのような帰結をもたらすのかということに関して、ソームズによる二次元意味論に対する批判も踏まえつつ、チャルマーズの議論を積極的に評価できる可能性を検討する。焦点は、(1)認識的内包が思考の合理的性質を例化するかどうか、(2)思考の合理的性質は狭い内容かどうか、(3)思考の真理条件的な性質は狭い内容かどうか、である。