ジェラルド・レヴィンソンのタイプ説を発展させる――音楽作品の存在論的探求を起点として

田邉 健太郎(立命館大学)

 本発表はジェラルド・レヴィンソンがLevinson[1980]で提起したタイプ説を発展させることを目的とする。同論文は音楽作品の存在論的探求を主題としているが、そこで提起されているタイプ概念は、例えばある特定の時点より存在し始める抽象的人工物といった、より一般的なものへの応用可能性をもふくんでいると思われる。そこで、本発表では、レヴィンソンが提示したタイプ説を発展させることにより、その有効性と限界を検討する。
 本発表の構成は以下のとおりである。まず、第1章と第2章では、Levinson[1980]を概観する。ここでは音楽作品の存在論的探求が主題となる。第3章および第4章では、そうした探求を経て提起されるに至った「創始されるタイプ(initiated type)」と「指し示されるタイプ(indicated type)」という考えを発展させる。レヴィンソンは両概念を提示してはいるものの、十分にその理論を構築しているとは言い難い。そこで、以降の章において、他の論者の枠組みを用いてレヴィンソンのタイプ説を発展させる。
 第1章では、レヴィンソンが純粋なタイプ的存在者と呼ぶところの「音の構造(sound structure)」を明らかとし、音楽作品について我々の実践的直観と音の構造が合致していないとする議論を概観する。レヴィンソンによれば、我々は音楽作品についてそれが「創造される」とする根強い直観を抱いている。しかし、純粋な構造は作曲家による創造以前より存在することが可能であるので、この直観を満たすことができない。また、音楽作品に付与する様々な美的性質・芸術的性質は、作曲された音楽史的文脈に依存している。このことは、音楽作品が音の構造よりも細かく個別化されねばならないことを示唆するとレヴィンソンは考える。第2章では、第1章の議論を踏まえて、音楽作品は「作曲家により特定の時点で指し示されたものとしての音の構造である」とするレヴィンソンの主張を示すと共に、その主張に対するいくつかの批判を取り上げる。この批判に応答するという形で、以降の章を展開する。第3章では、ハウエル(Howell, R.)が論じる「パターン」と「タイプ」の区別を利用する。この区別はDodd[2000]への反論として提起されたものである。ドッドが「あらゆるタイプは永久に存在する」と主張するのに対して、ハウエルは永久に存在する「パターン」と、現実に使用されることにより存在し始める「タイプ」を区別する。この議論を活用して、「いかにして指し示されたタイプは存在し始めるのか」という問いへの答えを示唆する。第4章では、ファイン(Fine, K.)が論じている「として対象(qua-object)」を利用して、「指示されたタイプは存在論的に不明瞭である」とする批判へのひとつの応答を試みる。

【参考文献】
Levinson, J. [1980]. ‘What a Musical Work Is’ . Journal of Philosophy ,77. Repr. in his Music, Art, and Metaphysics, 89-106. Ithaca, NY: Cornell University Press, 1990.
Dodd, J. [2000]. ‘Musical Works as Eternal Type’. British Journal of Aesthetics 40-4: 424-440.