永久革命としての永遠回帰――ドゥルーズ『差異と反復』を読む――

鹿野 祐嗣(早稲田大学)

 本発表の目的は、「一貫性」という概念を軸に据えて、『差異と反復』の全容を整理し明確にすることにある。この概念はまだ十分に注目されてはいないが、『差異と反復』の冒頭で「この書物が現前させるべきはずであったもの、それはしたがって、われわれ人間のものでも神や世界のものでもない、ある一貫性へのアプローチである」と宣言されているように、ドゥルーズ哲学の核をなす極めて重要な概念なのである。
 ドゥルーズのいう一貫性とは、同一性の原理に基づいた一貫性(安定的な自己同一性や恒常性、不変性)のことではない。それは反対に、差異、生成、多様性、発散、脱中心化、逸脱、齟齬、不均衡、予見不可能性、偶然性、無意識といった乱雑で反抗的な要素の中でのみ築かれる秘められた高次の一貫性、混沌‐彷徨(chao-errance)としての極限的な一貫性(coherence)なのである。ドゥルーズは、こうしたもうひとつ別の一貫性のことを「永遠回帰」と呼ぶ。ただしそれは、いわゆる「同じものの永遠回帰」ではなく、「差異あるものの永遠回帰」、純粋な生成変化の力の絶え間ない反復、つまり差異だけが反復する永遠回帰だとされる。そしてドゥルーズは、そうした永遠回帰の一貫性の中に、徹底して解放と肯定を欲望し続ける永久革命の形而上学を見出していく。こうしたドゥルーズ独自の永遠回帰解釈は、『差異と反復』が扱う領域すべてを貫き、著作全体を一貫して支えているとみてよい。よって本発表では、以上のような永遠回帰の一貫性という観点から、差異の存在論としての「存在の一義性」、出来事の時間論がもたらす「来たるべきもの(l’a-venir)」、絶え間ない個体化論としての「強度的個体化」、そして永遠回帰をもたらす特異な契機としての「超越論的経験論」といった、『差異と反復』の主要概念を取り扱い、ドゥルーズ哲学の根本的なモチーフを抉り出すことを試みる。
 既存の「ポストモダン」なドゥルーズ読解は、欲望の多種多様な分散やシミュラークルの無秩序な増殖ばかりに注目し、そこに流れる極限的な一貫性の論理を見過ごしてきた。言い換えれば、ドゥルーズ哲学の「混沌(chaos)」ばかりを見て騒ぎ立て、その内奥を貫く核、「混沌‐彷徨(chao-errance)」としての一貫性(coherence)を見てこなかった。それは結局、ドゥルーズ哲学がもつ批判精神を無化してしまい、地球規模に拡大した市場原理や情報社会化を前にしても、無批判に現状肯定をくりかえすだけであった。だが、ドゥルーズ哲学本来の意義は、まさにそうしたポストモダン的な現状に対する徹底的な批判の中にこそ求められなければならない。地道な読解を通じてドゥルーズ哲学の核を奪い返し、秩序を侵犯して駆け巡る遊牧民たちのための<一>、多種多様に散乱した差異あるものたちのための<一>、そして何よりも同一性の原理とは異なるもうひとつ別の<一>と主体性をこの手につかみとること――それがまさに、本発表の企図に他ならない。