音の存在論的身分について

源河 亨(慶応義塾大学)

 人間や動物は知覚によって、自身の周りの環境に何があるのか、また、何が起きているかについての情報 を得ている。そして、情報を獲得する仕方には、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といったように、複数の感覚 様相がある。このように知覚には複数の様相があるにもかかわらず、知覚とはどういう働きなのか、知覚され ている対象はどのようなものか、といった知覚に関する哲学的考察では、これまで専ら視覚と視覚的な対象 (たとえば色) が扱われ、他の様相はあまり注目されてこなかった。だが、視覚のみを考察してできあがった理 論は、視覚の理論としては妥当なものであるかもしれないが、より一般的な知覚の理論として妥当なものであ るかについては、疑う余地がある。というのも、視覚についての考察のみから組み立てられた知覚理論は、視 覚に固有な能力や機能を他の感覚様相に帰属させてしまったり、また、視覚にはない他の様相の能力を知覚能 力から排除し、そのことによって、その能力によって知られうる特性を知覚対象の特性から排除してしまう、 といった誤りを犯す可能性があるからである。以上のような理由から、視覚以外の感覚様相とその対象につい て考察することは、一般的な知覚理論を組み立てるために必要なものであると言えるだろう。
 以上のことを踏まえ、本発表は音について考察する。とくに、音についての実在論(Sonic Realism) を主張 する場合、すなわち、音は私的な感覚ではなく、公共的な、実在するものである考えた場合、音はどのような ものであると考えるのが適切なのか、ということを検討する。伝統的には、音は色や匂いと同じく可感的性質 あるいは二次性質に分類されるものであると考えられてきたが、近年では、音は性質ではなく性質を担う個 物、とりわけ出来事のような個物であると考える理論がいくつか展開されている。このような動向を考慮し、 本発表も出来事という観点から音の存在論的身分について検討したい。
 まず1章で、聴覚や音響に関する科学・ 心理学などで一般的に採られている、音と音波を同一視する立場、 波説(wave theory) を検討し、問題があることを明らかにする。次に2章では、音は、物体同士の衝突や物 体の振動といった音源となる出来事によって引き起こされる、「媒質がかき乱される」という出来事であると 主張するO’Callaghan の説を扱い、問題があることを明らかにする。そして3章では、Casati and Dokic の Located Event Theory やGaver の聴覚についてのEcological Approach をたよりに、音は、物体同士の相 互作用や物体の振動といった、音源となる出来事と同一ではないか、ということを提案する。