「断片」の思想――Ph.ラクー=ラバルト/J.-L.ナンシー『文学的絶対』読解 (仮題)

柿並 良佑(東京大学)

 1983年に「無為の共同体」と題する論文を発表し、その後の『共出現』(1991年)や『単数複数存在』(1996年)にみられるような「共同での存在」の思考に着手したジャン=リュック・ナンシーは、それに先立つ1978年、フィリップ・ラクー=ラバルトと共に一冊の書物を出版している。『文学的絶対――ドイツ・ロマン主義の文学理論』と銘打たれたその書物は、当時フランスにおいて十分に理解されているとは言い難かった、シュレーゲル、ノヴァーリスら初期ドイツ・ロマン主義の主要テクストの翻訳・紹介という体裁をとりながら、その実、かの文学運動の中に、今日の「我々」に遺された「主体」の思想を見出すという批判的作業をも含んでいた。
 ところで著者の一人ナンシーはこの著作とほぼ同時期にデカルト、カント、ヘーゲルといった近代哲学の読み直し(あるいは脱構築)を行い、後の共同体論の基盤を作り上げている。だが、とりわけ『文学的絶対』の第一章で取り上げられる「断片=断章(フラグメント)」というモティーフも、かかる基礎的作業上の重要さにおいてそれらに劣ることはない。ドイツ・ロマン主義の理論における、全体と部分や主体や体系といった語彙を検討することによって著者たちが取り出すのは、共同体の理論に他ならないからである。またこの共同体論をポジとするなら、そのネガとして取り出された、自己自身を基礎付ける自己充足的な主体という観念は、その後、いわゆる「内在主義」という名の下に「無為の共同体」その他のテクストにおいて批判されていくものとなろう。
 本発表は、以上のごとき文脈において、特にナンシーの共同体論との関連から『文学的絶対』という作品への接近を試み、それが後の理論展開に対して有する意義を解明することを目的としている。とりわけ上述の「断片」をめぐる考察の中で言及されるモーリス・ブランショ――および彼が用いた鍵語であり、ナンシーが継承した措辞でもある「無為」――とナンシーの関連という思想史的な検討課題にも着手してみたい。ナンシー自身が『自由の経験』(1988年)の最終章や『コルプス』(1992年)といった著作を断片形式で執筆していることからも分かるとおり、ドイツ・ロマン主義の断片の理論はすでに乗り越えられた単なる一契機ではないはずである。断片をめぐる思想は、主体・作品・体系・全体といった統一性とは異なる思考に対していかなる展望を開くものなのか、それが中心的な争点となるだろう。