カントと判断の諸課題:判断の有益性の評価について

和田 慈(東京大学)

 カントは『純粋理性批判』(以下「第一批判」)において認識を判断として規定し、同書の「超越論的判断力一般について」でこの判断の課題を定式化している。その際カントは判断の課題を特徴づけるために、その課題にまつわる困難を取り上げている。このとき興味深いのは、カントの叙述や事例が、『純粋理性批判』当該箇所の議論の焦点となる事柄のみならず、そこから外れた問題までをも連想させることである。本発表の課題は、この「議論の焦点から外れた事柄」の内実を明確にし、それをカント批判哲学の体系における諸概念との連関で捉え直すことである。
 さて、カントが第一批判で考察の対象とする判断は「あるものが、ある所与の概念の事例であるかどうか」を判定するものであり、その考察の核心をなすのは判断の正誤ないし真偽にまつわる問題である。しかしこの種の判断は、あくまで第一批判のカントの問題意識にとって適切な事例であるにすぎない。とりわけカント自身の論述が、「ある所与のものが、いかなる概念の事例であるのか」という判定、およびそうした判定に固有の困難の存在を示唆していることに注意しなければならない。本発表が取り上げるのは、この後者の種類の判断と、その実行に際して出会われる問いである。その問いとは、この種の課題にとって一体どういった解答が適切な解答であるのか、というものである。
 この問題に対してカント自身は直接答えを与えてはいないが、認識に使用される概念に重要性の程度のあることが指摘されていることに注目したい。このことを敷衍すれば、概念を用いてなされるところの判断は、真偽のみならず、その有益性も評価の対象になるといえるだろう。さらに、この判断の有益性は(散在するカントの論述を総合すると)、なんらかの目的を遂行するための行為に際して、それを首尾よく実行するのに役立つ手掛かりをどれだけ与えるかによって評価されると考えられる。だから、「ある所与のものが、いかなる概念の事例であるのか」という判定課題に対する適切な応答は、その判断が寄与すべき行為にとって関連する事柄に注目した答えを返すことだといえる。
 こうした考察を展開すると同時に、その過程において、「意志」「目的」「関心」「反省的判断力」など諸々のカントの語彙に関して、その関係と内実を探究することが本発表の目標である。この作業はまた、判断の有用性についてのカントの考え方を明らかにするものでもあるだろう。