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応募は締め切りました。
たくさんの投票をありがとうございました。
- 生物学の哲学
生物学の哲学、とりわけ進化論の哲学はいまや物理学の哲学とならぶ科学哲学の主要な柱であると言っても過言ではない。
その基本的な洞察のひとつ――あたかも何者かによってデザインされたとしか「思われない」生物の精妙な諸器官が、
それ自体一つ一つは無目的な偶然的作用の積み重ねによる所産に過ぎないという洞察――は一見したところ還元的な説明である。
しかし、進化論の学説はこの洞察をどのレベルのどのレベルに対する還元に適用することになるのか(なりうるのか)
を正確に理解することはまったく容易ではない。
今回は、この論点を中心にして、生物学の哲学のフロンティアがどこまで到達しているのかを論じていただく。
- 「心って何?」に体当たりする―心の哲学の最前線
「クオリアの問題」と「志向性の問題」は、よく知られているように、心の哲学における二大問題である。
生物学や脳科学の発展が著しい近年、哲学の側からも、「クオリアについての志向説」や「志向性についての進化論的アプローチ」といった形で、
これらの厄介な問題に対して、科学とも親和的な一定の見通しが提示されるに至った。
では、結局のところ、私たちは「心」について全体としてどこまで分かってきたのか。
異なる立場の論者を招き、レクチャラー相互の議論を通じて、心の哲学の最先端に触れることを目指す。
- 応用倫理とメタ倫理
「倫理」という言葉を共有しながらも、両者の間には隔たりがあるように感じられる。
両者はどのような関係にあるのか、あるいはあるべきなのだろうか。
応用倫理の現場においてメタ倫理的知見は意義を持ちうるのだろうか。
逆に、道徳についての原理的考察において応用倫理の成果を生かすことは可能なのだろうか。
両者の関係について、一方を中心に研究を行っている研究者二名と、双方をバランスよく研究している研究者一名をレクチャラーとして招き、
それぞれの観点からの見解を論じていただく。
- 哲学から見る「現在」
世界は変わってしまった。ネット化、格差、グローバリズム、テロと戦争、セキュリティなど、
現代という時代のキーワードと思しきものは多くあるが、そのほとんどには不安と見通しがたさの印象が付きまとう。
哲学から見て、私たちの生きているこの日本・この世界とはどのようなものなのか。
そして哲学は、現在の状況を分析し、方向性を示す力を今でも持っているのだろうか。
これらの問いに関して、政治哲学、社会倫理の専門家に伺う。
- 他者論
他者論は長い間、主として認識論的な他我問題として論じられてきた。
しかし、他者の謎は決してそのような問題構成のうちに尽くされるわけではない。
現代では倫理や行為、言語などより広く新しい視点から他者の意味を捉えようとする試みが多様に展開されている。
単に孤立した認識主観ではないこの私にとって、他者とは何なのか。
従来の思考の繰り返しではなく、自らの言葉で考え、問題に取り組む論者たちに古くて新しいこの問題を論じていただく。
- 相対主義
1960?70年代の科学哲学での論争が一段落した現代では、相対主義の問題が表立って取り上げられることは少なくなっている。
しかしそれは相対主義が勝利したからなのか、それとも敗北したからなのか。
科学哲学のみならず、認識論や倫理学においても、言明の真理性は客観的なものなのか、
それとも、社会や文化、言語、規約などに相対的なものであるのかという問題に決着がついているわけではない。
そこで、認識論、倫理学、社会学(SSK[科学知識社会学]や STS[科学技術論]など)の各分野で活躍されているレクチャラーを招き、
相対主義の現在について議論してもらう。
- 直観主義論理と論理の改訂
直観主義論理は、通常の古典論理に対する有力なオルターナティブの一つとみなされ、ダメットを始め多くの哲学者によって議論の的とされた。
他方で、直観主義論理は論理学的に見てそれ自体興味深い性質を持つ体系として研究されており、
また中にはそれが論理に対して古典論理よりも深い分析を与えるものと捉える研究者もいる。
こうした状況を踏まえて、直観主義論理が古典論理に取って代わることはいかにして可能か、
直観主義論理は論理に対するどういう捉え方を提供しているのか、といった論点について、
論理学の研究者を含むレクチャラーを招き、論じていただく。
また要望があれば、他の代替論理についての研究者を招き、より一般的に論理の改訂について論じていただくという選択肢もある。
- スピノザとライプニッツ
近代哲学における「大陸合理論」の代表的な思想家スピノザとライプニッツを取り上げる。
彼らは、認識論、形而上学、心身問題、政治、宗教、倫理など、現代においても哲学の中心であり続けているさまざまな問題に関して、
独特の、そしてしばしば対立する見解を提示したことでも知られている。
今回はその中でも、彼らが共に重要な論点として扱った「必然性と偶然性」という問題について、
彼らの思想の研究に携わる国内の第一人者を招き、それぞれの立場の独自性と現代的意義について論じてもらう。
- 普遍論争
古代から盛んに論争のテーマとなってきた普遍者をめぐる問題は、現在もなお重要な展開をみせている。
一方で、典型的な普遍者とされる性質や関係をトロープという個別者とみなし、対象を性質の束とみなそうとする現代版唯名論のような試みもあれば、
他方で、法則の実在性の基礎としての普遍者に肩入れする立場も活発である。
普遍者を認める論者の間でも、種(いわゆる第二実体)と性質・関係の区別を設けるか否か、
いかなる述語に対しても性質・関係の存在を認めるべきか、等の点で相違がある。
もちろん、この問題の源泉たる古代・中世の先駆者の議論にも敬意を払うべき議論が多く残っており、
それらを一望することで現在の議論がそれらをどのように消化しているのかを考えていきたい。
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