講演者: 戸田山和久(名古屋大学)
講演タイトル: 科学(者)の中の哲学(者): 哲学の生存戦略とそのアジェンダ

ここで私は、哲学による科学的知識の基礎づけであるとか、科学的探究と哲学的探究の違いといった話題についてメタ哲学的に語るつもりはありません。みなさんと議論したいのは、もっと実践的な問題であり、日頃私を苦しめている問題です。もと教養部のような組織に属し、自然科学者に囲まれて暮らしている私には、哲学に対する他分野からの風当たりはますます強くなる一方に思われます。
こういう状況で、「哲学って何なのよ、われわれにとって意味ないじゃん」という科学者からの声にどう答え、哲学のサバイバルを図るかってのが私を切なくさせる「問題」なのです。子どもの頃に出会った自分じしんの問題をトコトン考えぬくことは重要でしょ、ロマンでしょ?と言ったところで、「あっ、そうなの。でもそれって、人様の金を使ってやることじゃないよね。大学やめて趣味でやったら?」と言われちゃう。逆に人類の知的遺産の輝ける継承者って路線はどーだろう。この路線をとれば、ウパニシャッドやチョーサーの研究者がひっそりと存在を許されている程度には哲学者も生き延びることができるかもしれない。でも、「それにしたって、カントやヘーゲルをやっているひとがこんなにいるのは異常だよね。日本に数人ずついればいいんじゃないの?」と言われることは必至。
私は、自分自身にとってもやりがいがあり、ついでにもうちょっと他人様からも「尊敬」されるような仕方で哲学の延命を図りたいです。そのためにはどんなことが可能だろうか、また、そのための哲学研究者の育成システムはどうあるべきか?などといったことを考えてみたいと思います。その手がかりを求めて、意識の科学と人工生命という二つの分野で現に哲学者が果たしている役割をケーススタディとして検討してみましょう。後者については、私自身の経験も少しお話しできるのではないかと思います。
…というような極めて生臭く、かつまた志の低いお話しで申し訳ありません。でも、私はこのことはぜひみなさんと一緒に考えておきたいのです。しかしそれにしても、こういう体たらくに哲学を追い込んだ人々の危機感のなさは…ピ−−−−(censored)−−−−。