講演者: 小林道夫(大阪市立大学)
講演タイトル: 科学と哲学 ― 自然主義の射程と限界 ―

まず初めに、現在の認識論上の自然主義の源泉と見られる、クワインにおける「認識論の自然化」を批判する。その要点は、第一に、クワインの自然化された認識論の構想は、それ自身、クワインの意に反して、従来の認識論の古典的懐疑論を蒙るものであり、しかもそれを退けうるものではないということ、第二に、それは、認識論から規範性(あるいは知識の正当化)を剥奪する方向のものであり、規範的認識論でない認識論は認識論(知識論)としては機能しえないということである。第三に、クワインの自然主義の主張は、伝統的な認識論の基礎づけという考えを放棄して、現実の科学の形成過程と進展を追求し、認識論もそのなかに位置づけるべしというものであるが、彼の議論自体、人間における日常言語の修得過程を発生論的に追求しているだけで、実際の自然科学の形成過程や進展の追求になっていない、ということである。私はこのような点を論拠として講演ではクワインの見解に反対して伝統的認識論の方の有効性と科学自身の発展の内在的追求の必要性とを強調するつもりである。次に、クワインの哲学の自然主義に対する批判として、その論理的根拠ともなっている彼の「ホーリズム」をとりあげ、これを検討批判する。その要点は、第一に、彼のホーリズムは、物理学のレヴェルのものと知識全体についてのホーリズムに分けることができるが、それは物理学のレヴェルのものからして、厳密には全面的に妥当するものではないということである。このことをまず、個々の物理理論について、それを構成するもののなかにはその理論に関する実験上の反証によっては改訂の対象にならない部分があるということを指摘することによって、ついで、近現代の物理学一般について、そこにはそれの対象認識をそもそも可能ならしめる超越論的枠組・条件というものがあり、それは当然経験による改訂の対象とはならないということを指摘することによって主張する。この後者の論点は、科学認識論は、科学の超越論的前提や条件を考察するものであるという主張につながり、このことは認識論を自然科学自体の一章と見なそうというクワインの自然主義を、さらには彼の知識のホーリズムをはっきり退けるものである。私は、クワインとは逆に、日常言語の知識、諸々の科学、認識論や哲学は、その特質やレヴェルを異にしており、それらに対する多元的・複眼的見地こそが必要であると考えている。講演ではその見解を展開するつもりである。最後に、このクワインの自然主義の影響を多少とも受けて展開される最近の「心の哲学」における「自然主義(特に消去的唯物論)」といくつかの「(科学的)還元主義」の動向を取り上げ、その検討と批判を展開する。その要点は、近現代の科学は、神経生理学や脳科学を含め、主観的(命題的)態度や価値的・目的論的概念、個別的実在性というものを意図的に排して、現象の構造やプロセスについてその数量的理論や抽象的普遍的モデルの構成を押し進めることおいて成立するものであり、前者の特性をその本質とする心的活動の内実をそもそも原理的に説明しうるものではない、ということである。この二つの活動はその目的性やスタンスを異にしており、同じ枠組みのもとで十全に捉えうるものではないのである。この点を講演では、17世紀における「科学革命」や私が与する「認識論(知識論)」を論拠にして展開したいと思っている。